ハゲトは自宅のアパートメントの一室で、することがないことに悩んでいた。
ハゲトは、趣味を持っていなかった… インターネットで『趣味』を検索した。
世の中には色々な趣味が存在し、それをインターネットの世界に公開している人たちがたくさんいる。
… おもしろい。
続きを読む インターネットの深い森
『全てを諦める』のキーワードでネット検索していたら(← どんだけ病んでる、自分)… 共感できる記事を見つけた。
全ては借り物、という考え方。
この世で色んな物を手に入れても、あの世には持って行けない。
地球だって永遠ではない。いつかは太陽に飲み込まれる。
もっと卑近なものを考えてみても…
・家 → ローンで買ってる
・車 → 同じく
・会社 → 経営者ではない、もしくは株主のもの
・食べ物 → お金という世間の回り物を通じて、誰かに作ってもらい誰かに売ってもらってる
・自分もその誰かの一人
自分のものなんて、一つもない。
この体でさえ、数十年だけの借り物。
… 誰かから、借りてる。
ということは、いつかはキレイに返さないといけない。
だから、大事に丁寧に扱わなければ、と思う。
『全てをありがたいと思いなさい』と、祖母が言ってた。
全てが借り物なのだから、ありがたく大切に扱いなさい、という意味だったのか。
無理してる場合じゃない。
自分を、使い捨ててはいけない。
… 疲れてるなら、体と心を休めて、自分を大切に扱おう。
ヽ(`Д´)ノ 無理してでも勝負しないといけない時ってあるだろ!!
⬅ 心に突き動かされてやってるなら、我を忘れてやってるなら、そういう時は疲れないから、無理していることにはならない。
イヤイヤやってたり、イライラしながらやってることは、疲れる、病む。
時々は、我を忘れて自分を使い切る。
それは貸した者の本望。
使い切るためにこそ、大切に。
朝、道を歩いていると…
スゴい花が、近所に自生していた。
これは、水芭蕉… ?
…
いや、ドクダミ。
な〜んだ、ただのドクダミか〜
なんて、
感じる方がおかしい。
ドクダミも花の一つ。
それこそ水芭蕉と勘違いするくらい。
と、考えている時点で、
ドクダミより水芭蕉の方がエラい、と考えている。
希少性ではやっぱり水芭蕉か?
希少性を知らなかったら、どっちも珍しい! と感じるに違いない。
知識、固定観念が物事を歪めて見ている、という事が分かった朝。
『我を忘れて楽しむ』
… ホントに楽しむなら、我を忘れなければならない。
いや、我を忘れるほど楽しむ事、か?
どのみち、我は忘れる。
『無我夢中』
… ホントに夢中になっている時、やっぱり我を忘れる。
忘れなくてはならない我とは?
→ 生まれたときから、死に向かっていることをよく知っている存在。
我を忘れて何かやってないと、不幸になってしまう存在。
だ・か・ら
『幸福になるためにがんばろう!』
『幸福になるために楽しもう!』
『幸福になるために… 我を忘れて、頑張ろうっ…!』
って、なんか疲れる。
我が我を忘れて楽しむために、我を捨てて頑張るというパラドックス。
初めから矛盾している。
我を忘れよう忘れようとしている。
無。
無なら、不幸だとか、幸福だとか感じる我も無い。
風に揺れる猫じゃらしを見た… みんな風に揺られて右往左往している。
彼らはゼッタイ、幸せとかそうじゃないかとか、考えてない。考えるはずがない。
じゃあ、植物になれば? そこに根を張って、どこにも行けず、その場で水をもらわないと生きれないような行き方すれば?
いえいえ、種や胞子になっていろんな所に行けますよ。人間だって乗り物に乗ったりするでしょう? 植物の種も鳥に食べてもらったりして、空を飛んで遠くに行けますよ。
人間だって、食べ物はだいたい誰かに作ってもらってるでしょう? 水も、色んな人の助けを借りて、水道からもらってるでしょう?
人間も、植物とそんなに変わらないですよ。違うと思い込んでるだけなのです。
はい〜ひゃはあ