白い蝶‐1:記憶の海の島

 

 ナスカは春風の吹く頃、旅に出た。列車を待つプラットフォームで春の匂いを感じ、暖かさを感じ、風がナスカの髪を撫でていた。居るだけで気持ちよく、その心地よさを黙々と味わっていた。

 

 ナスカは島に行くための列車に乗った。しばらくするとトンネルの中に入った。窓の外は暗く、鉄の車輪と鉄のレールがこすれる音がトンネルの壁に響き、車内に激しい音が入り込んできた。

 

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世界の起点

 

 ナスカは初夏の明るい夕方、空が映り込んでいる水田の間を歩いていた。

 

 アスファルトの黒く硬質な直線が、水田の間をまっすぐに伸びていた。

 

 ナスカの周り一面には、水が張られた何枚もの水田が広がっていた。風はなく水田はピタリと静止していて、昼間と夕方の間の空を寸分の狂い無く映し出している。空の色と、水の色と太陽の光が混ざってそれは、何枚も隙間なく敷き詰められていた。

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幻想の豪華客船

 これは、伝染病が世界に流行する前の話し。

 

 ナスカはお金を貯めて、念願の豪華クルーズ船の一週間の旅に出かけた。10万トンを超える超大型船で、そこでは艶やかで怠惰な生活が待っているはずだった。

 

 毎日フルコースが食べられるいくつものレストラン。イタリアン、フレンチ、アジアン、ステーキハウス、鉄板焼、寿司… 全ての料理ジャンルが網羅され、毎日極上のグルメが楽しめる。

 

 さらに、全て無料のビュッフェ形式のレストラン、24時間行くことができる軽食コーナー、もちろんコーヒー・紅茶は飲み放題だ。

 

 ナスカはワクワクしながらその船に乗船し、毎日を楽しみ尽くした上で、目的地の南の島に行く。そこは鳥が舞い魚が躍動している楽園だ。

 

 きらびやかなエントランスホールでは、たくさんの人々で賑わっている。これからの悦楽の旅を前に顔を綻ばせ、いい大人なのにはしゃいでいる。

 

 独りで乗船したナスカでも、全く寂しくなかった。数千人の乗客に加えて、千人以上の乗務員もいる。乗務員たちは乗客を最大限に愉しませようと努力を惜しまない、善良な人たちに決まっている。

 

 さあ、海側テラス付きのすばらしい部屋に荷物を放り投げて、薄着でラフな服装に着替えて船内に繰り出そう。

 

 好きなものを好きなだけ食べ、プールでちょっとだけ運動をして、その後は屋上デッキに並ぶデッキチェアでゴロゴロ。お腹が空いたらまた食べにいこう。

 

 屋上デッキには大きなプールがいくつもある。太洋に出ると一気に外が暖かくなるので、プールに浮いて1日中過ごす、なんてのもありだ。

 

 大型船ならではの豪華なホールでは、感動的で豪華な踊りや歌のショーが、連日繰り広げられる。

 

 そしてまた小腹が空くと、軽食コーナーでサンドウィッチやケーキ、ハンバーガーなどを炭酸飲料と一緒に食べた。

 

 

 夢のような暮らしだ。夢だ。これはきっと、夢に違いない。海の上でこんなにたくさんの食べ物があり、たくさんの“時間潰し”のための施設が備わっている。まるで地球上の富をここだけに集めたような、夢の楽園だ。

 

 

 今夜もスイーツ片手に、ショーをダラダラ観に行こう。その後は星空のデッキで寝そべってくつろぎ、寒くなったら部屋に戻って昼まで寝よう。

 

***

 

 そし三日後、ナスカはデッキの上で、くつろいでいるフリをしながら、苦しんでいた。

 

 食べ過ぎ、飲み過ぎ、運動不足で、体がおかしくなっているのだ。頭は痛く、お腹はゆるく、歩くときはフラついていた。

 

 なぜ、食べたいものを食べたいだけ食べたら体の調子が悪くなるの? 楽しいことしかしてないのに、なぜこんなに頭が痛くて気分が悪いの?

 

 体が欲してるから、食べてるだけじゃないの? 無理して食べてるわけではないわ。なのに、なぜ?

 

 ナスカはどこまでも広がる海の上で、よく晴れた紺碧の空を見上げていた。

 

*人間は元来、餓えた状態、厳しい生活にチューニングされているようだ。