白い蝶‐1:記憶の海の島

 

 ナスカは春風の吹く頃、旅に出た。列車を待つプラットフォームで春の匂いを感じ、暖かさを感じ、風がナスカの髪を撫でていた。居るだけで気持ちよく、その心地よさを黙々と味わっていた。

 

 ナスカは島に行くための列車に乗った。しばらくするとトンネルの中に入った。窓の外は暗く、鉄の車輪と鉄のレールがこすれる音がトンネルの壁に響き、車内に激しい音が入り込んできた。

 

 しかし同時に、さっきまでの暖かで静かなプラットフォームでの記憶を引き継いでいて、暗く、騒々しいこの列車の中でも、ナスカの気持ちは穏やかだった。

 

 今、トンネルの中の騒々しい列車に乗っているナスカの感覚と、あの列車を待つ穏やかなプラットフォームにいた時の感覚、そしてしばらくするとトンネルを抜けて明るく暖かい世界に戻る予感、どれが本物なのだろうか。

 

 今トンネルの中の列車にいながら、気分は春のホーム上、さらに、もうすぐトンネルを出て明るい外の世界になることを知っている。暗く騒々しい列車そのものを実感しながら、同時にそれを実感していない。

 

 この事は、日常的にも起こっているのでは?

 

 今にいて、今をそのままの形で実感していない。今、暗く騒々しい列車をそのまま感じたとしても、その一瞬は過去の記憶の一部。つまり、列車を待つ春のプラットフォーム上の記憶を、思い起こしていることとそんなに変わらない。

 

 ということは、この世界は感じたことの記憶を後から再生して捉えていることになる。この世界は、記憶でできている。

 

 ナスカはごく稀に、この世界なんか消えてしまえばいい、この世界からアタシも消えてしまえばいいと思うことがあった。

 

 記憶が失われ、記憶が再生されなくなった時、この世界は消える。少なくともナスカのいる世界は消える。この考えすら、記憶の再生でしかない。ナスカが今この瞬間知覚しているこの世界は、少し前に感じた記憶が再生されているだけである。

 

 しかし、記憶が再生される前、記憶として保存される前のポイントがあるかもしれない。

 

『そこまで戻ることができれば、楽しそうだな… 』

 

 ナスカは、考えても答えは出てこないと思った。なぜなら「考える」ということは、それはすぐに記憶としてインプットされ、その記憶が再生されたものを、知覚しているだけであるから。

 

 結局は、記憶の海に沈んだままのものを、島として浮上させるほかない。記憶よりも前、それを感じる前、考えるよりも前の状態、そこは記憶の海に投げ出される前の、シマ。

 

 そこに行けば、そのシマに居続ける事ができれば…? 

 

 そこという場所は、考える前の場所、もともとある場所、もともといる場所ではないか。

 

『だって、考えるのはアタシであって、考えるアタシは考える前からそこに居るはず。その島に居なかったら考え始めることもできないもの。そこにいる、アタシ… 』

 

 ナスカは、記憶の海のどこかに浮かんでいるシマを、探す旅に出ている。

 

 

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