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ハゲトは今、出張帰りで特急列車の中にいる。
仕事は頑張っているつもりだが、いつも空回りしがちだった。さらにハゲトのある思考パターンが、いつもいらぬことを考えさせ、ハゲトの仕事、ハゲトの人生を邪魔していた。
混雑しているエコノミークラスの指定席で、疲れた体を沈めているハゲト。ふと、斜め前の席に座る男性が目に入った。ハゲトと同じくビジネスマン風の男性で、座席前の小さなテーブルを開き、そこにバインダー型の手帳、付箋がたくさん貼付けられているメモとノートを広げて、右手にはボールペンが握られていた。
カリカリとバインダーにメモを取り、考え込み、またノートにもメモを取り、時々スマートフォンで調べ物をしたりしていた。列車の中でも時間を惜しんで、仕事に励んでいるようであった。
その男性を見て、ハゲトは思う。
「移動中も仕事をしなければならないほどの、忙しさなのか」
そしてハゲトはこの後、いらぬ考えを付け足して自分を貶めて(おとしめて)いた。
「それだけ働いても、エコノミークラスにしか座れない哀れな男」
働いて、働いて、それでもファーストクラスではなくエコノミークラス。赤い顔をして漫然と缶ビールを飲んでいる愚かな乗客達と変わらぬ車両の中で、忙しく働いているのだ。悲しい努力、無駄な努力、そして、貧しい。或は、そんな自分に酔っているのかもしれない。いずれにせよ、虚しい。そうハゲトは感じるのだった。
ハゲトは人を見るとき、その人そのものではなく、その人がどんな地位、どんな立場にいるのか、またどんな組織に所属しているのか…
その人が何をしているのか、ではなく、「入れ物」こそがハゲトにとっては重要なのであった。それは自分にも当てはまる。自分は今、どんな地位にいるか、どんな組織に所属しているのか、そして、列車のどのクラスにいるのか…
人やモノそのものよりも、背景を重視してしまうハゲトの思考パターン。そのことが人を見る目、物事を見る目を曇らせていた。
ハゲトは今、エコノミークラスの車両にいる自分が許せなかった。
ハゲトは思う。自分はもっと素晴らしいところにいるべき人間なのだ。移動はエコノミークラスに座っているような人間ではなく、本来は特別車で悠然と座っているような人間であるべきなのだ。
そう考えると、今の自分がひどく惨めに感じた。
* * *
ハゲトの斜め前で忙しくしていた男性は「全国寺社巡り」の下準備をしていたのだった。行きたいところをメモし、スマホで調べ、手帳に予定を記入し、ワクワクする時間を過ごしていた。
自分のための時間を過ごしていた。自分がどこにいるか、どのクラスの車両に座っているかなど、そんなことはどうでもよかった。