この世は夢(邯鄲の夢)

この世は夢のようなもの。


しかも一瞬。


そんな夢のような世なのになぜ我々は『(苦しい)現実』に思えるのか。


それは、まだ来ていない『不安』をいつも考えているから。


現実問題として目の前にある問題は、対処すればいい。うまく対処できるかできないかにせよ。


しかしほとんどの場合は『この先に起こりそうな』不安に怯えているではないか。


それは、まだ起こっていない。 


楽しい時は「夢のような時間だ」とよく言う。現実なのに。

楽しい時、うまくいっている時は先の不安なんて考ないから「夢のような時間だ」と感じる。


ならばいつも、まだ来ない不安なんて考えない方がいい。そしていつも、夢のように現実を思い馳せよ。

苦しい時の泣き笑い 般若

また、不安…


深刻になってしまう…



いいことを思い付いて、それをやっている。



頬の筋肉を動かす。


不安で辛いときにそれをやるから

泣き笑い

になる。


結果的に、般若(はんにゃ)的な…


だがそれでいい。

だいたい『般若』とは、広く一般的には嫉妬に狂った女となっているが、本来は般若=智慧(ちえ)であって、仏教の『般若心経』は智慧の集まりということ。


一瞬でココロが軽くなる。


般若、悪くない。


般若 = 苦しい時の泣き笑い = 智慧 なんです。

不安だから、地球を引っ張る

あ〜


あ〜


今に全ての意識を集中…


今、視界に映ってるもの、聞こえてくる音、自分の呼吸、そういったことに集中する。


もっと…


地球からの重力にも集中。


地球から引っ張られている、のではなく。
自分が地球を引っ張っている。


歩くとき、自分が地面を動かしている。

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自分が自分中心になり、あちこちに散らばっていた意識が、戻ってくる。


あれコレと考えていたことが、どこかに捨て置かれる。


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… 生きていると、色々と不安な事(仕事上での失敗とか、単なる失敗とか、コロナとか)が発生する。


あれコレと、いらないことを考えてしまう。


そうするといつの間にか、深刻な顔になる。不安がっている。


深刻になっても、不安がっても、ただでさえ少ない自分のパフォーマンスを、もっと引き出せなくなる。 →深刻になるな、真剣になれ

深刻になるな 真剣になれ

生きていると、色々と深刻な事は起こるし、それに対して深刻になってしまう…


今は新型コロナウイルスとか。


深刻になると、胸が苦しくなる。


深刻になって、苦しくなって、それで解決する可能性が上がるならいいが… 


苦しんだら解決できるのか?


ココロを健康な状態に保つ方が、パフォーマンスを保てる(ウイルスへの抵抗力を保てる)のではないか。


苦しまない方が、解決する可能性が上がるのではないか。


『深刻』とは。ココロに深く刻まれている状態のこと。


事象の深さを表す形容詞、か。


『深刻』な事態に対して、『深刻』に取り組む


なんかおかしい。


『深刻』な事態に対して、『真剣』に取り組む

こっちが正しい。


『真剣』とは。本気になること。


真剣とは、なるもの。


深刻になって苦しむより、真剣になって行動する方が前に進む。それに苦しくない。


前に進むか、苦しむより。

無能な自分でも

何も知らない自分
何もできない自分

それでも自分を信じる
それでも世界を信じる

むしろ
既に救われている

自分の能力の低さに嫌気がさすときがある。

いや… まさに今、そうなっている。

それは自分の中でただそう感じているのか、周りの他人と比較しているのか、分からない。

そんな時でも、自分と世界を信じるだけで、割と楽な気分になる。

思い通りに、なんて思っているから…

思い通りにならない自分が、思い通りにならない世界で苦しんでいる。

思った自分になれていないし、世界は思い通りにならない。

エゴか。欲望か。

『思い通り』が、無かったら?

→ 自分が、世界で苦しんでいる。

… 何に?

少なくとも食べ物も、寝るところもある。

『思い通り』が自分を苦しめ、『思い通り』が自分から見た世界を歪めている。

ては『思い通り』無しで生きればいいのか?

→ それではこの世界に生を受けた意味が、半減してしまうではないのか?

『思い通り』から「通り」を抜いて、『思い』だけにしたらどうか?

思い自分が、思い世界に苦しめられる…? 

なんかおかしい。

『思う(感じる)自分が、世界にいる』
それだけのことではないか。

思い通りにならないからと、苦しむ必要は無いではないか。

今、何かを思っている自分が、この世界にポツンといるだけ。

自分と、世界を信じる… だけ。

生きていると…

なぜかタイミングが合ったり、うまくいかなくても、結局上手くいくことがある。

今、何とか生きているなら(これを読めているなら)、そうやって、今まで何とかなってきたことになる。

ええかげん、自分と世界を信じるんや。

そして…

最初から信じていた方が、楽。

裏切られても損は無い。信じているだけだから。

『信じるだけ』だから、かんたん。

浄土宗の『南無阿弥陀仏と唱えるだけで極楽浄土に…』と似ている。

それよりもかんたん。唱えなくていいから。

自分と世界を、信じるだけ。

新未来志向

今、何を感じているか。


コトバにして感じる気持ちは、記憶から出ている気持ち。

どんなに『ついさっき』でも、それはほんの少し前の記憶。

だから私達は【記憶の束】の中で感じて、暮していると言える。

ほんの少しづつ前の過去に、生きている。

では…

記憶の束の中で生きるのではなく、今に生きるとは、どんな『感じ』なのか?

そんなことが、できるのか?

出来るだろうな。瞑想みたいなもので。

今この瞬間の『感じ』。

コトバに置き換えない『感じ』。

今、楽しいも、悲しいも何も、今しかない今に。

未来に「ああ、あのときは楽しかったんだな」と感じることはあるだろう。

コトバにして感じるのは未来にとっておく、今に生きる生き方。

新未来志向。

今この瞬間が辛くても、コトバにしてそれを今感じる必要はなく、未来にそれを感じればいいという…

大きい話しなのか、小さい話しなのか?

判断

パチンっ、パチンっ、パチンっ…


電車の中で、おばあさんが爪を切っておられる。
切りカスを、床に捨てておられる。


なんて、意地汚いのだろう。自分の家の床には散らかさないだろうに。


年を重ねてるのに、まだ…

しかし、しかし。


よく見えなかったが、コンビニでもらうような小さなポリ袋が、足元に置かれていたかもしれない。


小さなポリ袋に切りカスがうまく入るとは思えないが、よく確認せずにそのおばあさんを心の中で糾弾した。

失敗だ。


というか、人を簡単に判断するな。