世界の豊かな時間を生む

スーパーで、レジに並んで、むちゃ並んで、私の後ろに並んでいる壮齢の人が、おこっている。

そんな歳になって、何を急いでいる?

年相応とか、成長とか、そんなこともあるが、そんなことではなくて…

そんなに急いで、怒るほど急いで、何を求めている?

そういう私も、後ろで怒っている人に心の中で怒って、一体、何を求めてそんなに気が立っている?

求めるものを無くし、今に寛ぐ方が楽だし、豊かな時間を過ごせるはず。

その「豊かな時間」か。その時間をもっと多く欲しいと考えている。

だから後ろの人も、私も、時間を気にして急いでいたのか。

豊かな時間すら求めない。

ならなんなん…? 

生きるって。心臓を動かし続けること? そのためにご飯食べること? 子孫残すこと?

おや、おや。

こうやって、精神的に成長することが生きるということか?

もがき続けたらええんか?

月並みの結論。

まぁしかし、

急がず、寛ぐことにしよう。それが、世界の豊かな時間を生む。

大きい話や。

その逆は、そうでないなら、今まで通り、いつも急いで、いつもカリカリして、いつも渇望して。いつも怒る。

そっちは嫌?

自分は後ろの怒っている人に「お先にどうぞ」と言えないほど、ほとんど意味もなく急いでいたということ。譲ればよかった。

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