幸福だとか不幸だとか考えたくなくなった

風に揺れる猫じゃらしを見た… みんな風に揺られて右往左往している。

 

彼らはゼッタイ、幸せとかそうじゃないかとか、考えてない。考えるはずがない。

 

じゃあ、植物になれば? そこに根を張って、どこにも行けず、その場で水をもらわないと生きれないような行き方すれば?

 

いえいえ、種や胞子になっていろんな所に行けますよ。人間だって乗り物に乗ったりするでしょう? 植物の種も鳥に食べてもらったりして、空を飛んで遠くに行けますよ。

 

人間だって、食べ物はだいたい誰かに作ってもらってるでしょう? 水も、色んな人の助けを借りて、水道からもらってるでしょう?

 

人間も、植物とそんなに変わらないですよ。違うと思い込んでるだけなのです。

 

はい〜ひゃはあ

何があっても大丈夫?

 

『今が大丈夫』という、スピリチュアル的な考え方がある。

 

我々は元々何があっても大丈夫な存在なのだから、今の状態で全く問題ない、という考え方。

 

問題を抱えていると感じているとしても、それは自分が作り出した問題だから、作らければいい、瞑想して無になれば、問題なぞ初めから無いことが分かる。

 

⇒ しかし、反論する。

 

そんな風に考えると、今以上に発展することはない。ここで終わり、である。

 

⇒ さらに、それを反論する。

 

今、そのように悩んでいて且つ具体的に何も動けていないのなら『今、大丈夫』という精神的安定があった方が、いいと感じる。

 

そう考えることで、今のいい点を感じることができるようになる。

 

その上で発展していけばいい、と考え直すと、手が動かしやすくなる。

 

言い換えると、我々は元々、何かの目的があって存在しているわけではないのだから、何があっても全く問題はない。

 

(‘ω’)ノ だからといって『新型コロナウイルス』が問題ない、と言っているのではない。

 

 

都合の悪いことは、言い換える

 

YouTubeやスマホアプリで当てた人の、豊かな生活を見ていると…

 

世の中で、うまくいっている人を見るとやはり羨ましく、妬ましい。

 

Nはそういう未熟な人間だ。

 

そこで、バカなNがまたバカなことを思い付いた。

 

『何かを一発当てて、早い段階で金銭的に豊かな生活を一生送れる人が羨ましい』

 

 

『早い段階で人生における難題をクリアしてしまうと、その後が無為な人生になってしまう』

『だから、“まだ”その難題をクリアしていないのだ』

 

そう、“まだ”クリアしていない。

 

逆説的な…

あ〜あ いろんな人に出会ってきて、でも結局、いろんな人と疎遠になっていく
 
それを残念、と思うのも自由。
 
そのことを残念と思うことを残念と思わない、のも自由。
 
幸福は自分で作ると言うけれど、同じように苦しみも、自分で作っている。

凡人宣言

 

バカな男がまたバカなことを思い付いた。
 
─ 凡人宣言 ─
 
いや、元々、凡人だった。
 
大哲学者や宗教者にでもなるつもりだったか。
 
歴史に名を残したかったのか?
 
そんな高尚なことを考えても、自分には無理。無駄。
 
自分は凡人。
 
そのことを忘れてはいけない。
 
凡人で何が悪い。
 
凡人でもやれることはある。
 
─ そして、バカを見る人生を。
 
今まで上から目線でバカにしていた凡人ども。
 
それは、自分だ。仲間だ。同類だ。
 
─ 自分は、独りじゃない。
 
みんな、足掻きながら生きている。
 
 

釣れない釣り

 

昨日、寒空の晴天の下、釣りをした。

または、釣らない釣りをした。

釣るつもりのない釣りをした。

 

釣れないと
分かっていながら
糸垂れる

無為な時間を
流すまま


そんな時間が過ごせる今は、幸福に違いない。


新型コロナウイルスを発端とした世界経済の低迷が、我々の生活を少なからず変化させるだろう。


今までが、豊か過ぎた。

私のような凡人でも、貴族の生活を享受してきた。


それが、普通の豊かさに戻るだけ。

逆にこれまでのキチガイじみた忙しさから解放され、釣れない釣りのような時間が、増えるだろうな。

思考している、そのものが生きている証左

 

『思考している』ことそのものに喜びを感じるんだ。


その思考がどういう内容であれ。


生きているとは、思考が出来ること。どんな思考であれ。


この世界を去る(死ぬ)ということは、思考が止まる(思考できなくなる)ということ。


ツラい思考でも、その思考が出来ているそのことに価値がある。


死ねば、思考は止まる=解放される。


この世界の全てが、いずれは解放される運命にある。


解放される前にその『思考していることそのもの』に、喜びを見出すのだ。


その『ツラい思考』に感覚を集中させ『思考していることそのもの』へ意識を持って行くんだ。

自分に気を使う

 

自分に気を使え


会社や上司や周りの人に気を使う前に

人生一度きり。


輪廻転生ありと感じているNとしては、今回の人生は一度きり。


自分の周りに気を使うのも、大切なことの一部、もちろん。


順番かある。


自分にまず気を使う。

そして、周りに気を使う。

勝利の無い勝利

 

全くお金をかけないキャンプに行ってきた。

すごく幸せだった。


幸せ

とか大げさに言わなくても、

気持ちいい

とか、気分良く過ごした、で十分か。


気分良く過ごすのに、

お金はいらない

という事が分かった。


それに加えて、

こうあらねばならないという自分への条件を、全て捨てた。


例えば、キャンプのツールはこれくらいいいのは揃えておきたい、とか。

実はそんなのあまり関係ない。


どんなカタチでも、気分良く過ごせる。

幸せになれる。


この世界に生まれたときから、

自分から条件を振り解く

という戦いをしている。


その戦いで勝利を収めるということは、

何の条件も無しで常に気分良く過ごす

ということ。


つまり、勝利の無い勝利。

楽しんで、魂が成長して… いいことだらけ。

何者にもなっていない自分

自分は、なるようになってない。


自分は、何者にもなってない。


そもそも


何者かにならないといけないのか?

・ナントカ長

・ナントカ経営者

・外国語ペラペ〜ラ

・金持ちピープル

・…


自分は、そのナントカ長とかにホントになりたいのか?


じゃあなればいい。自称で。



自称は嫌か?


自称は嫌で、他人に認められたいか? ナントカ長に、他人から認められたいか?


「いやいや(笑) 認められようとしてナニかをやりたい訳ではないよ。何かをやっていたら勝手に認められてるような人間になりたいんだよ(笑)」

→ 認められようとしている。


他人から認められなくてもいい人生を歩んだら?


他人に認められなくていい。誰もいなくていい。


ああそうか。友達とか、恋人とか、家族とかは、自分が認められているコトをしているから側にいてくれるわけではない。無条件で側にいてくれる。


何でもいい、という精神というか、ココロ。


そっか。それはそうか。それを忘れていた。


何者かにならねばならないか。


いや、何者でもない自分でいいのではないか。


無条件で自分を認めろ。


そこからだ。