釣れない釣り

 

昨日、寒空の晴天の下、釣りをした。

または、釣らない釣りをした。

釣るつもりのない釣りをした。

 

釣れないと
分かっていながら
糸垂れる

無為な時間を
流すまま


そんな時間が過ごせる今は、幸福に違いない。


新型コロナウイルスを発端とした世界経済の低迷が、我々の生活を少なからず変化させるだろう。


今までが、豊か過ぎた。

私のような凡人でも、貴族の生活を享受してきた。


それが、普通の豊かさに戻るだけ。

逆にこれまでのキチガイじみた忙しさから解放され、釣れない釣りのような時間が、増えるだろうな。

思考している、そのものが生きている証左

 

『思考している』ことそのものに喜びを感じるんだ。


その思考がどういう内容であれ。


生きているとは、思考が出来ること。どんな思考であれ。


この世界を去る(死ぬ)ということは、思考が止まる(思考できなくなる)ということ。


ツラい思考でも、その思考が出来ているそのことに価値がある。


死ねば、思考は止まる=解放される。


この世界の全てが、いずれは解放される運命にある。


解放される前にその『思考していることそのもの』に、喜びを見出すのだ。


その『ツラい思考』に感覚を集中させ『思考していることそのもの』へ意識を持って行くんだ。

自分に気を使う

 

自分に気を使え


会社や上司や周りの人に気を使う前に

人生一度きり。


輪廻転生ありと感じているNとしては、今回の人生は一度きり。


自分の周りに気を使うのも、大切なことの一部、もちろん。


順番かある。


自分にまず気を使う。

そして、周りに気を使う。

勝利の無い勝利

 

全くお金をかけないキャンプに行ってきた。

すごく幸せだった。


幸せ

とか大げさに言わなくても、

気持ちいい

とか、気分良く過ごした、で十分か。


気分良く過ごすのに、

お金はいらない

という事が分かった。


それに加えて、

こうあらねばならないという自分への条件を、全て捨てた。


例えば、キャンプのツールはこれくらいいいのは揃えておきたい、とか。

実はそんなのあまり関係ない。


どんなカタチでも、気分良く過ごせる。

幸せになれる。


この世界に生まれたときから、

自分から条件を振り解く

という戦いをしている。


その戦いで勝利を収めるということは、

何の条件も無しで常に気分良く過ごす

ということ。


つまり、勝利の無い勝利。

楽しんで、魂が成長して… いいことだらけ。

何者にもなっていない自分

自分は、なるようになってない。


自分は、何者にもなってない。


そもそも


何者かにならないといけないのか?

・ナントカ長

・ナントカ経営者

・外国語ペラペ〜ラ

・金持ちピープル

・…


自分は、そのナントカ長とかにホントになりたいのか?


じゃあなればいい。自称で。



自称は嫌か?


自称は嫌で、他人に認められたいか? ナントカ長に、他人から認められたいか?


「いやいや(笑) 認められようとしてナニかをやりたい訳ではないよ。何かをやっていたら勝手に認められてるような人間になりたいんだよ(笑)」

→ 認められようとしている。


他人から認められなくてもいい人生を歩んだら?


他人に認められなくていい。誰もいなくていい。


ああそうか。友達とか、恋人とか、家族とかは、自分が認められているコトをしているから側にいてくれるわけではない。無条件で側にいてくれる。


何でもいい、という精神というか、ココロ。


そっか。それはそうか。それを忘れていた。


何者かにならねばならないか。


いや、何者でもない自分でいいのではないか。


無条件で自分を認めろ。


そこからだ。

この世は夢(邯鄲の夢)

この世は夢のようなもの。


しかも一瞬。


そんな夢のような世なのになぜ我々は『(苦しい)現実』に思えるのか。


それは、まだ来ていない『不安』をいつも考えているから。


現実問題として目の前にある問題は、対処すればいい。うまく対処できるかできないかにせよ。


しかしほとんどの場合は『この先に起こりそうな』不安に怯えているではないか。


それは、まだ起こっていない。 


楽しい時は「夢のような時間だ」とよく言う。現実なのに。

楽しい時、うまくいっている時は先の不安なんて考ないから「夢のような時間だ」と感じる。


ならばいつも、まだ来ない不安なんて考えない方がいい。そしていつも、夢のように現実を思い馳せよ。

苦しい時の泣き笑い 般若

また、不安…


深刻になってしまう…



いいことを思い付いて、それをやっている。



頬の筋肉を動かす。


不安で辛いときにそれをやるから

泣き笑い

になる。


結果的に、般若(はんにゃ)的な…


だがそれでいい。

だいたい『般若』とは、広く一般的には嫉妬に狂った女となっているが、本来は般若=智慧(ちえ)であって、仏教の『般若心経』は智慧の集まりということ。


一瞬でココロが軽くなる。


般若、悪くない。


般若 = 苦しい時の泣き笑い = 智慧 なんです。

不安だから、地球を引っ張る

あ〜


あ〜


今に全ての意識を集中…


今、視界に映ってるもの、聞こえてくる音、自分の呼吸、そういったことに集中する。


もっと…


地球からの重力にも集中。


地球から引っ張られている、のではなく。
自分が地球を引っ張っている。


歩くとき、自分が地面を動かしている。

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自分が自分中心になり、あちこちに散らばっていた意識が、戻ってくる。


あれコレと考えていたことが、どこかに捨て置かれる。


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… 生きていると、色々と不安な事(仕事上での失敗とか、単なる失敗とか、コロナとか)が発生する。


あれコレと、いらないことを考えてしまう。


そうするといつの間にか、深刻な顔になる。不安がっている。


深刻になっても、不安がっても、ただでさえ少ない自分のパフォーマンスを、もっと引き出せなくなる。 →深刻になるな、真剣になれ

深刻になるな 真剣になれ

生きていると、色々と深刻な事は起こるし、それに対して深刻になってしまう…


今は新型コロナウイルスとか。


深刻になると、胸が苦しくなる。


深刻になって、苦しくなって、それで解決する可能性が上がるならいいが… 


苦しんだら解決できるのか?


ココロを健康な状態に保つ方が、パフォーマンスを保てる(ウイルスへの抵抗力を保てる)のではないか。


苦しまない方が、解決する可能性が上がるのではないか。


『深刻』とは。ココロに深く刻まれている状態のこと。


事象の深さを表す形容詞、か。


『深刻』な事態に対して、『深刻』に取り組む


なんかおかしい。


『深刻』な事態に対して、『真剣』に取り組む

こっちが正しい。


『真剣』とは。本気になること。


真剣とは、なるもの。


深刻になって苦しむより、真剣になって行動する方が前に進む。それに苦しくない。


前に進むか、苦しむより。

無能な自分でも

何も知らない自分
何もできない自分

それでも自分を信じる
それでも世界を信じる

むしろ
既に救われている

自分の能力の低さに嫌気がさすときがある。

いや… まさに今、そうなっている。

それは自分の中でただそう感じているのか、周りの他人と比較しているのか、分からない。

そんな時でも、自分と世界を信じるだけで、割と楽な気分になる。