今回のヒトコト:邯鄲の夢
会社のデスクでウツラウツラしてたら、唐突に『カンタンの夢』と聞こえた。ビックリして目覚めたら周りには誰もいなかった…
カンタンの夢って何??? ハッキリそう聞こえたし… と思って調べてみた。
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『邯鄲の夢』
この世界は夢の中のように一瞬で過ぎ去る、儚いものの例え。
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へえ〜 難しい漢字…
邯鄲という中国の古い街で、貧しい青年がちょっとうたた寝をしている間に、栄華を極める50数年の一生を送った夢を見た。目が覚めてみると宿の亭主が先ほどからメシを炊いていたものが、まだ炊き上がっていないくらい少ししか経っていなかった…
人生は儚い夢、終わってみれば(死ぬ間際には)(死んでからは)、一瞬の出来事に感じるのかもしれない。いやきっと、そう感じる気がする。
今の苦しみや絶望感、劣等感も全て、一瞬の夢のような出来事に過ぎないのかもしれない、目が覚めた後は…
目が覚める、一生が終わると目が覚めるのか…? 今は夢の中なのか?
それもおもしろい。
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違う解釈もある。
人間の持つ欲望を認めながらも、その欲望を抑えて快適な人生を見出そうという示唆。
ちょっと難しい。。。
主人公の「盧生」が夢の中で歩んだエリート人生は、地位名誉を得る代わりに命がけで紆余曲折のある人生だった。
→詳しくは、参考にさせてもらったwebサイトを。
エリート人生への欲望を持っていることは認めつつ、目の前のささやかな生活を楽しもう、安全で快適な人生を歩もう、というのがこの物語の言いたいこと、という解釈。
いい。
今の現代現実でも、栄華を極める道は命がけと言ってもいい。ストレス、病気と隣り合わせ。頑張るから。
そういう人生を歩まないともったいない、人生の意味がない、アグレッシブに、チャレンジしないと!、というのが今の風潮ともいえる。
しかし、今のこの「欲望を満たすための世界」の行き着く先は、世界の破滅、ということにみんな気付いている。
それなのに突き進んでいる。
「邯鄲の夢」の物語は、そういう「常識」を今一度考え直す物語ではないか。
抑えきれない欲望を認めつつ、適なる世界を目指す生き方。