都合の悪いことは、言い換える

 

YouTubeやスマホアプリで当てた人の、豊かな生活を見ていると…

 

世の中で、うまくいっている人を見るとやはり羨ましく、妬ましい。

 

Nはそういう未熟な人間だ。

 

そこで、バカなNがまたバカなことを思い付いた。

 

『何かを一発当てて、早い段階で金銭的に豊かな生活を一生送れる人が羨ましい』

 

 

『早い段階で人生における難題をクリアしてしまうと、その後が無為な人生になってしまう』

『だから、“まだ”その難題をクリアしていないのだ』

 

そう、“まだ”クリアしていない。

 

勝利の無い勝利

 

全くお金をかけないキャンプに行ってきた。

すごく幸せだった。


幸せ

とか大げさに言わなくても、

気持ちいい

とか、気分良く過ごした、で十分か。


気分良く過ごすのに、

お金はいらない

という事が分かった。


それに加えて、

こうあらねばならないという自分への条件を、全て捨てた。


例えば、キャンプのツールはこれくらいいいのは揃えておきたい、とか。

実はそんなのあまり関係ない。


どんなカタチでも、気分良く過ごせる。

幸せになれる。


この世界に生まれたときから、

自分から条件を振り解く

という戦いをしている。


その戦いで勝利を収めるということは、

何の条件も無しで常に気分良く過ごす

ということ。


つまり、勝利の無い勝利。

楽しんで、魂が成長して… いいことだらけ。

チョロい男

そのバカな男は今朝、発見をした。
 
脳が幸せにする
不幸にもする
 
例えば、宝くじで7億円当たったことにする。
 
もしホントに当たったとしても誰にも言えないから、状況的にリアルに想像できる。
 
或いは、こっそり副業で7億円稼いだ。誰にも言わない。
 
脳が当たったことになる。そして行動がゆっくりになる。
 
気持ちに余裕が出て、足取りは軽く、ゆっくりになる。
 
体が健康になる。心が凪く。
 
ココロもカラダも、健康になっていく。
 
お金があり余っても、会社は辞めない。なぜなら社会との繋がりに役立つから。人付き合いに役立つから。
 
リアルだ。
 
───
 
そのバカな男の脳内では、すでにそのような物質構成となった。
 
結果的に、幸福になってきた。
実際にお金が無くても。
 
お金が無いと贅沢は出来ない、それはバカな男でも分かっていた。
 
贅沢が出来なくても幸せにはなれる、それはバカな男でも理解していた。
 
脳が、幸せにも不幸にもする、簡単だった。
 
チョロい男だ。
 
 

また、カネか

 
 
お金達
 
飛ぶようにして
 
 いってしまう
 
 
これは喜捨だと
 
 言い聞かせる
 
 
 
 
 
 
喜捨:僧、寺社、或いは貧者に金品を施すこと。
 
または「お金、お金…」といつも思い悩むことを捨てること。
 
 
しかしよく考えたら… 僧や寺、神社もやっぱり… 金なのか? 
 
 
持ち過ぎてはいけない、ということか? 持ち過ぎてはいないが。