何も知らない自分
何もできない自分
それでも自分を信じる
それでも世界を信じる
むしろ
既に救われている
自分の能力の低さに嫌気がさすときがある。
いや… まさに今、そうなっている。
それは自分の中でただそう感じているのか、周りの他人と比較しているのか、分からない。
そんな時でも、自分と世界を信じるだけで、割と楽な気分になる。
果てしない空から降ってきた言の葉。
何も知らない自分
何もできない自分
それでも自分を信じる
それでも世界を信じる
むしろ
既に救われている
自分の能力の低さに嫌気がさすときがある。
いや… まさに今、そうなっている。
それは自分の中でただそう感じているのか、周りの他人と比較しているのか、分からない。
そんな時でも、自分と世界を信じるだけで、割と楽な気分になる。
思い通りにならない自分が、思い通りにならない世界で苦しんでいる。
思った自分になれていないし、世界は思い通りにならない。
エゴか。欲望か。
『思い通り』が、無かったら?
→ 自分が、世界で苦しんでいる。
… 何に?
少なくとも食べ物も、寝るところもある。
『思い通り』が自分を苦しめ、『思い通り』が自分から見た世界を歪めている。
ては『思い通り』無しで生きればいいのか?
→ それではこの世界に生を受けた意味が、半減してしまうではないのか?
『思い通り』から「通り」を抜いて、『思い』だけにしたらどうか?
思い自分が、思い世界に苦しめられる…?
なんかおかしい。
『思う(感じる)自分が、世界にいる』
それだけのことではないか。
思い通りにならないからと、苦しむ必要は無いではないか。
今、何かを思っている自分が、この世界にポツンといるだけ。
生きていると…
なぜかタイミングが合ったり、うまくいかなくても、結局上手くいくことがある。
今、何とか生きているなら(これを読めているなら)、そうやって、今まで何とかなってきたことになる。
ええかげん、自分と世界を信じるんや。
そして…
最初から信じていた方が、楽。
裏切られても損は無い。信じているだけだから。
『信じるだけ』だから、かんたん。
浄土宗の『南無阿弥陀仏と唱えるだけで極楽浄土に…』と似ている。
それよりもかんたん。唱えなくていいから。
自分と世界を、信じるだけ。
今、何を感じているか。
コトバにして感じる気持ちは、記憶から出ている気持ち。
どんなに『ついさっき』でも、それはほんの少し前の記憶。
だから私達は【記憶の束】の中で感じて、暮していると言える。
ほんの少しづつ前の過去に、生きている。
では…
記憶の束の中で生きるのではなく、今に生きるとは、どんな『感じ』なのか?
そんなことが、できるのか?
出来るだろうな。瞑想みたいなもので。
今この瞬間の『感じ』。
コトバに置き換えない『感じ』。
今、楽しいも、悲しいも何も、今しかない今に。
未来に「ああ、あのときは楽しかったんだな」と感じることはあるだろう。
コトバにして感じるのは未来にとっておく、今に生きる生き方。
新未来志向。
今この瞬間が辛くても、コトバにしてそれを今感じる必要はなく、未来にそれを感じればいいという…
大きい話しなのか、小さい話しなのか?
スーパーで、レジに並んで、むちゃ並んで、私の後ろに並んでいる壮齢の人が、おこっている。
そんな歳になって、何を急いでいる?
年相応とか、成長とか、そんなこともあるが、そんなことではなくて…
そんなに急いで、怒るほど急いで、何を求めている?
“世界の豊かな時間を生む” の続きを読むパチンっ、パチンっ、パチンっ…
電車の中で、おばあさんが爪を切っておられる。
切りカスを、床に捨てておられる。
なんて、意地汚いのだろう。自分の家の床には散らかさないだろうに。
年を重ねてるのに、まだ…
しかし、しかし。
よく見えなかったが、コンビニでもらうような小さなポリ袋が、足元に置かれていたかもしれない。
小さなポリ袋に切りカスがうまく入るとは思えないが、よく確認せずにそのおばあさんを心の中で糾弾した。
失敗だ。
というか、人を簡単に判断するな。
んー?
ならば世界のためになってると感じる仕事をする… それだったら満足するのか?
例えば… 自然保護活動とか、世界平和のために声を上げるとか。
いや…
自分のやりたいこと = 世界のためになる、という考え方を推したい。
もっと言うと、豊かになるために働くのではなく、やりたいことを仕事にすることが、今のこの世界のためになる。
世界を救うために、やりたいことをする。
大っきい話しだ。
静観と諦めの人生…
もったいなさ過ぎて
目が眩む
幸せのカケラはそこら中に落ちていて
その小さなカケラを拾って歩く人は
幸福になる才能がある