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この世界に生まれて、生きて、何か残しても残さなくても、全員がこの世界から選手交代していく… みんな、中継ぎ。
この世界に生まれて、生きて、何か残しても残さなくても、全員がこの世界から選手交代していく… みんな、中継ぎ。
顔を上げ、前を向いて、堂々と生きよ。どんなに辛くても、どんなにうまくいかなくても。どんなにみじめでも。太陽はいつも通り昇っている。
自分には、何も無い、というわけでもないし、友人が“全く”いないということもない。お金が“全く”無いわけでもない。何も無いわけではない。這いつくばって生きている。それでいいじゃない。悪いことは何も無い。
自分がここにいる価値なんて、ないのか? それは、何かを成し遂げていないから? いやいや、何もしていなくても、ここにいるじゃないか。何かしていても、ここにいる。
生は終わりの無い旅。死んでも多分、終わらない。だからこの旅は、今の瞬間を、ゆっくり味わうもの。
見えている風景を見ている、思う、感じている自分は、間違いなくここにいる。自分の中、自分そのものに。だから、風景の中を自分が動いているのではなく、自分を中心に風景が動いている。自分が行きたいところに向かって、自分が引き寄せている。
生は、今のこの瞬間にある。さらに、もっともっと、今の瞬間に意識を向けると、前後の嫌なこと、苦しいことは関係なくなる。
孤独と孤独が繋がって、世界が形作られている様な気がする。そう考えると、孤独もそんなに悪くない。
今日一日“だけ”を生き抜こうと積極的に決めれば、生きていける。明日の事を心配しても、過去のことを悔やんでもどうしようもないので。
だから世界は変わらなくとも、見え方がコロコロ変わる。疲れる。→ 意味付けしないでそのまんまを眺めたら、なんて楽なこと。