初めから矛盾している人間

『我を忘れて楽しむ』

 

… ホントに楽しむなら、我を忘れなければならない。

いや、我を忘れるほど楽しむ事、か?

 

どのみち、我は忘れる。

 

 

『無我夢中』

 

… ホントに夢中になっている時、やっぱり我を忘れる。

 

 

忘れなくてはならない我とは?

 

→ 生まれたときから、死に向かっていることをよく知っている存在。

我を忘れて何かやってないと、不幸になってしまう存在。

 

だ・か・ら

 

『幸福になるためにがんばろう!』

『幸福になるために楽しもう!』

『幸福になるために… 我を忘れて、頑張ろうっ…!』

 

って、なんか疲れる。

 

我が我を忘れて楽しむために、我を捨てて頑張るというパラドックス。

 

初めから矛盾している。

 

我を忘れよう忘れようとしている。

 

 

 

無。

 

 

 

無なら、不幸だとか、幸福だとか感じる我も無い。

 

 

 

 

 

 

肉体が滅ぶ(死ぬ)と“意識”はどうなるか

肉体が滅ぶ(死ぬ)と“意識”はどうなるか、について。
 
 
 
意識は混濁し、自分が何を伝えたいか、何をしようとしているのか、分からなくなる。
 
意識があっても、その意識を、ハッキリと保つことが難しくなる。
 
何も考えられない、何も感じなくなっていく。
 
意識とは、肉体(特に脳)に密接に結びついている。だから脳が損傷すると、無に近づいていく。
 
しかし色々な経験から、死んでも“意識”は、確かにそこに残っている。
 
そうは言っても、肉体と密接に結びついている、意識。
 
 
意識とは何か?
 
 
肉体や脳が滅ぶと、何も考えない、何も感じなくなる、意識。
 
意識 = “無” = しかし確かにそこにあるもの
 
肉体と関係がなくなった意識は、何も考えず、何も感じることなく、ただそこにある。
 
逆に、肉体と強く結びついている今は、考え(悩み、嘆き)、行動する(思い通りにならないことに不満を感じる)。
 
意識の真の姿とは、禅で言う“無”の状態のことではないか。
 
肉体から解放された状態のものが、意識の真の姿ではないか。
 
死んでも残る、“無の意識”。
 
 
 
“無我”の境地が『意識』ではないか。