無能な自分でも

何も知らない自分
何もできない自分

それでも自分を信じる
それでも世界を信じる

むしろ
既に救われている

自分の能力の低さに嫌気がさすときがある。

いや… まさに今、そうなっている。

それは自分の中でただそう感じているのか、周りの他人と比較しているのか、分からない。

そんな時でも、自分と世界を信じるだけで、割と楽な気分になる。

思い通りに、なんて思っているから…

思い通りにならない自分が、思い通りにならない世界で苦しんでいる。

思った自分になれていないし、世界は思い通りにならない。

エゴか。欲望か。

『思い通り』が、無かったら?

→ 自分が、世界で苦しんでいる。

… 何に?

少なくとも食べ物も、寝るところもある。

『思い通り』が自分を苦しめ、『思い通り』が自分から見た世界を歪めている。

ては『思い通り』無しで生きればいいのか?

→ それではこの世界に生を受けた意味が、半減してしまうではないのか?

『思い通り』から「通り」を抜いて、『思い』だけにしたらどうか?

思い自分が、思い世界に苦しめられる…? 

なんかおかしい。

『思う(感じる)自分が、世界にいる』
それだけのことではないか。

思い通りにならないからと、苦しむ必要は無いではないか。

今、何かを思っている自分が、この世界にポツンといるだけ。