使命か、パッションか

 
生きる使命なんて、どこにもない。
 
ここから、続きがある…
 
楽に、テキトーに生きている状態は、何もしていないことではないです。
 
まず、生きてるし。
 
そして、自分だけが持っている『情熱』に突き動かされている。それを抑えることは、ネコもヒトも誰にもできない。
 
 
抑えることができない情熱=パッションだから、今この瞬間していることの中に、それは含まれている。
 
抑えることができないから。
 
ネコは食べたら顔を洗って寝る。
 
ヒトは食べて寝て、家に住んでテレビ見たりする。
 
「これこれをやるべき」「自分(大人)とはこうあるべき」という「使命」は、よく考えたら、社会や誰かからの受け売りかもしれない。
 
楽にしてたら、自分のパッションが、見えてくる。
 
そうして世の中には、個性的なネコやヒトが、出現する。
 
個性的なネコやヒトは、楽に、楽しく生きている。
 
他者の目を気にしない。“自分勝手”と見なされることもある。
 
だって、湧き上がるパッションに動かされているだけだもの。
 
するべきである、しなければならない、そういったものから、解放されている。
 
ゴロゴロして過ごしたいネコやヒトは、ゴロゴロして過ごすパッション
 
バリバリ遊びたいネコやヒト。
 
バリバリ仕事したいヒト。
 
パッションで動いているセカイは、楽で、楽しくて、個性的。
 
今、自分のしていること、しようとしていることは、
 
使命か、パッションか。