劣等感の男エヌ【2-4】 ─ 老紳士の本当の行き先

 エヌは失意の中、自分の職場に入っていきました。近い将来、自分はやっぱりあんな風になるのだな、と考えていました。それは大変失礼な話です。毎日の勤めがあり、毎日働きに出かけている。失意するところがどこにあるのでしょうか。エヌはそうやって意味もなく、劣等感を持つ男なのでした。

 さて、件の老紳士はその後、エヌの職場の裏門をくぐったかに見えましたが、実は違っていました。その裏門の脇にある、小さな道に入っていたのです。そこは小さな山の登山道の入口でした。

 紳士は大きなカバンを脇に抱え、その小さな山の頂上まで勢いよく登っていきました。頂上は広場になっていて、下界がよく見渡せました。大きな鞄からレンズが何個も付いている不思議な形をしたカメラ、足が八本もある三脚(八脚というのでしょうか?)、豪奢な椅子、そして、その鞄にはとても入りそうにない大きな鏡を、何枚も取り出しました。人の背丈以上はある大きな鏡を、豪奢な椅子の周囲に並べて立てました。

 紳士が準備したカメラは、大きな半球状のレンズが何個も付いていました。それに八本の脚を付けるとまるで深海にすむ奇妙な生物のようでした。目のようなレンズを上に向けて、豪奢な椅子の前に設置しました。椅子とカメラの周囲は360度、大きな鏡で囲まれていました。

 紳士がカメラを操作すると、カメラはカシャカシャと音を立てて動き出しました。鏡の角度に合わせて、その八本の足ものそのそと動いています。ぐるっと360度の鏡を撮り終わると、勝手にまた鏡を撮り始めるのでした。

 カメラがちゃんと動いているのを確認すると、紳士は豪奢な椅子に座って鞄の中から分厚い本を取り出しました。その本は厚い革のようなもので装丁された、古く豪華な本でした。世界の全ての記録がそこに記されているような本でした。

 ぐるりと立てられた鏡には、この世界のあらゆる出来事が映し出されています。太陽の光を中心に集めるように、世界の出来事が鏡を通して中心に置かれたレンズに集まり、その記録が紳士の手元の本に記されていくのでした。

 次々と書き加えられていくその本のページをめくりながら、紳士の顔は喜びに満ちていました。この世界は様々なことが起こっている。なんと芸術的なことか、という喜びでした。

(おわり)

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