劣等感の男エヌ【2-1】 ─ 毎朝電車で出会う老紳士に自分の未来を重ね、嫌悪してしまう

2018年3月24日

 劣等感を持つ男エヌの勤め先は、郊外の工場でした。毎朝決まった電車、決まった車両、決まったドアの位置に乗って通っていました。

 代り映えのしない毎日のある朝、その決まった電車の決まった位置で、大きな鞄を持った老年の紳士が立っていました。だいたいその車両はいつも同じメンバー(もちろん顔だけ知ってる関係です)でしたので、その老紳士のことはハッキリと覚えることができました。真冬の寒い時期なのに、白いシャツに薄手の上着とズボンだけの、色は重々しいが着ぶくれしていなく、軽い感じで毎朝決まった場所に立っていました。

 そしていつしかエヌとその老紳士との関係は、毎朝決まった位置にお互いがそこに立っているだけ、の関係となりました。いつも同じ電車、同じ車両、同じ位置に、お互いが無言で立っていました。

 けれども一つ、他の立っているだけのメンバーとの違いがありました。その老紳士はエヌと同じ駅で降りて、同じ方向に歩き出すのでした。ただ、その老紳士は驚くべき速さで歩くので、エヌはいつもすぐに、突き放されました。

 エヌはその老紳士を毎日見ている内に、ああ、代わり映えのしない同じパターンの日々を過ごしているんだなあ、と、哀れみを含んだ目で見るようになりました。決まった時間に毎日勤めに行って、毎日代わり映えのしない仕事をしているんだな、と。エヌも同じでしたけれども。

 さて、エヌとその紳士は毎朝同じ電車で乗り合わせ、同じ駅で降りるのでした。そして駅を降りて同じ道を歩き始めます。老紳士が前で、エヌは後ろで、すぐに突き放されていました。

 エヌはこれから勤めに行くという気怠い朝であるので、わざわざその老紳士についていこうとは思いませんでした。先に行かせればよい。彼らは毎日決まった時間に駅に電車が来てそして出発するように、毎日駅を一緒に出発して、そして離れる、そんな日々が続きます。

 そんな毎日の中、エヌの心の中に、浅黒い感情が生まれてきました。「自分は近い将来、あの哀れな老紳士のようになるのではないか?」という感情です。

 エヌは劣等感を持つ男でした。代り映えのしない日々、特に成長することもなく年をとっていく。何も変わることなく通過していく日々。そんな自分を卑下していて、その不安はいよいよ増大していました。目の前に毎日現れる老紳士が、近い自分の将来のように思えてきました。

 何も知らない他人を見てその人に自分の勝手な将来像を重ね、憐れむという、黒い感情です。エヌは老紳士ほど早く歩けないにもかかわらず、早くも近い将来の不安を、前を歩く老紳士に重ねているのでした。
 なんともひどい話です。

つづく

[ad#co-1]