墓石の始まりと、芸術的な墓石。そして共感。

2018年3月22日

墓石の始まりは、死人がよみがえってしまうのが怖いから石を上に置き始めた、という。

高野山などに行けば、「超」芸術的な墓石を見ることができる。

現代の墓石は、高級品だ。昔の人々が単に置いた石ではない。

しかし始まりは、確かにそうだった。

「なんか、もっとかっこイクしたいな~」 

「お、なかなかかっこイイのできたわ~」

「いいねえ。俺ん家もそれやってみよう。」

「おお、イイのが出来た!そうかなるほど、こうすればもっとかっこイイな!」

「いや、ここをこうすればもっと・・・」

「それもいいがこれはどうだ・・・」

近くの人どうしでの墓石コミュニケーションが始まり、墓石がどんどんレベルアップしていく。

「いいなあ、おめーらの墓石。うちの墓石もそんな風にかっこイクしてくれない?」

「そりゃあ、やってやりたいけど、そろそろ田植えの季節だからなあ。」

「そうかあ・・・よしっ、俺がお前の分も田植えしておくから、代わりにかっこイイの作ってよ!」

「まあ、田植えやってくれるなら、、、こっちやるか。」

分業が始まった。分業化→専門化により、さらに墓石レベルがアップしていく!

「先生!素晴らしい墓石です!ありがとうございます!」

最初は、やりたい事をやりたいように始めただけ。自分でやりたくて始め、なんの報酬も関係なく、ただやりたいことをやっただけ。

現代人は、私は、それを忘れている。

やりたいと思ったことを、純粋にやればいい。

共感が、やりたいことをレベルアップさせてくれる。他の人もそれが、楽しい、イイ、と感じるような行為が、その行為をより高次元なものにさせる。

まずは、自分が楽しめばいい。そのことが共感を呼ぶかもしれない。

逆説的に、共感を呼びたいなら、まずは自分が楽しめることをすることだ。

と、思った。

 

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