丘のガレオン─2

2018年3月16日

2:港

次の日の休日。ナバッハには少し特別な日だった。それは、大型客船「ブリュンヒルト」がナバッハの街、ハイドルム港に初めて入港してくるからだ。ブリュンヒルトは排水量10万トンを超える大型客船で、大洋に出ると可動式の帆を出して無動力航行もできる特徴を備える。そして船の上部は木々で覆われ、まるで森が船の上にあるようであった。そんな特徴的な、そして超大型の船を見ることは、ナバッハを興奮させる。

ナバッハは大型船が出入りする「ハイドルム港」まで、車で出掛けた。もう何回もそこには行っている。ナバッハの家から港まで、自動車で1時間の距離だった。

入港して来る埠頭は、五箇所ある埠頭の中の一番埠頭だった。一番埠頭には関係者以外はは立ち入ることができない。しかしその隣の二番埠頭は、ナバッハのような“物好き”の者にとって幸いなことに、見学者のために解放されていた。しかも、埠頭の先まで自動車で乗り入れることができた。一番埠頭には時々、外国の客船が今日のように入港してくる。そしていつも二番埠頭は、見学者の為に解放されているたのだ。

ナバッハは自動車を埠頭の先まで乗り入れて停めた。いつものように“物好き”は少ない。カメラと三脚を出し、ワイヤードのリモコンを接続した。その後、折り畳み式のリクライニングチェアと、軽量テーブルを広げる。そして、携帯型のコンロに火をかけて湯を沸かす。家で挽いてきたコーヒー豆で、至高のコーヒーを煎れるためである。あとはブリュンヒルトの入港まで、コーヒーを飲みながら過ごす。水平線を眺めて待つ、至高の時間。コーヒーに少量のミルクを足した。

しばらくすると、大型客船ブリュンヒルトと思われる白い影が、水平線の先から見えてきた。そしてそれはどんどん大きくなり、船の全容が姿を現わした。圧倒的な大きさと、船の後部に森を運ぶ船。船上では作物も育てているということであり、帆走による低燃費と合わせると、この船であれば何ヶ月も航海に出ることが出来るだろう。船に住むのだ。そう考えるだけでナバッハはワクワクして、あの船に住んでいる自分を想像するのだった。

ナバッハは森を運ぶ大型客船を、目と鼻の先のその埠頭から堪能した。広角レンズで全体像を、そして望遠レンズに付け替えて船の詳細な姿を。白い船体の横にはいくつもの窓やバルコニーがあり、上階には大きめの窓がいくつも見えた。レストランのような、多くの人で利用する施設が入っているのだろう。船の上部には複雑に入り組んだ甲板があった。甲板は植物がたっぷりと配置されて、歩くと気分が良さそうな「プロムナード」が、船の前方から後方の森地帯まで続いていた。あそこをぶらぶらと散歩するのは実に楽しいだろう。

それにしても大きい。ナバッハが今までに見た中で、最大の船だった。現在のところ、公式でも世界最大の客船となっていた。そしてその大きさを活かして船の上に森を据えているという姿が、ブリュンヒルトの際立った特徴だ。さらに風により帆を突き出して帆走する、今までの大型客船にはない装備がある。今は狭い港の中なのでその帆は出していない。帆走している姿もこの目で見てみたいものだと、ナバッハは思う。

写真を納得するまで撮り終え、ナバッハはブリュンヒルトをしばらく眺めた。大きく、そして美しい。

名残惜しいが、帰って写真の整理をするという楽しみが残っている。残ったコーヒーを飲み干してから、片付けを始める。カメラを三脚から外し、椅子とテーブルを折り畳んで自動車に入れてしまったその時、ナバッハのいる埠頭の岸壁に、小さな船がゆっくりと横付けして来るのが視界に入った。ナバッハは目を見開いてその船を見た。興味を強く引くものがその船にはあったのだ。帆は畳まれているが二本のマストを備えた帆船であり、あの丘のガレオン船とデザインがそっくりだったのだ。

 

ナバッハはしばらくその船を、呆然と眺めていた。大きさといい、デザインといい、丘のガレオン船にあまりに似ている。そして、このハイドルム港では全く見ない船であった。そもそも、帆船などこの港には来ないのだった。

その船は古めかしい印象を与えていながら、古い船ではなかった。古びた箇所、傷んだ箇所が全く無く、どこか洗練された、古くも新しい船だった。マストには帆が張られていない状態で、ゆっくりと進んでくる。スクリュー等の別の動力を使って進んでいることが、ナバッハにはすぐに分かった。古い印象を与えてはいるが、全く現代の船である。音もなく静かに岸壁に横付けしてくる。

ナバッハは興奮し、小さなカメラだけポケットに入れて、その船に小走りで向かった。近くから見上げると、存外この船は大きく感じる。丘のガレオン船と同じような大きさだが、そのリアリティが大きく見せるのかもしれない。形は似ており、二つの船は強い関連性があるのだ、とナバッハは勝手に考えた。

船が完全に着岸する直前、ナバッハのいる場所に、船の上から先が輪になっているロープが放り投げられた。投げられたロープが危うくナバッハにぶつかりそうになって、それを避けながら、おうっ、と大きな声をあげてしまった。

「ああ、申し訳ない。当てそうだったね…そこのビットに輪をかけてくれるかね?」

船の上から、初老の男性がナバッハに声をかけてきた。ナバッハはその男性を下から見上げながら、足元にある黄色い地面から飛び出ている鉄製の突起を確認し、その輪の付いたロープを両手で抱えて、小走りでビットに掛けた。

「それでいい。後ろの方からも係留索を投げるから、ビットに掛けてくれるかね?」

船の上からその男性は笑顔でそう言った。ナバッハは了承の意を体全体で示し、船の後方へ小走りで行った。ナバッハは楽しかった。思い掛けなく係留索を掛けるという初めての作業に、ワクワクしている。

係留索を掛け終わり、ナバッハが合図を送ると、船から索が引っ張られて、船は岸壁に固定された。

船の上の男性が甲板の縁に寄って来た。

「いやあ。助かったよ。ありがとう。少し船に上がってきなさい」

そう言いながら、上から梯子を下ろしてきた。ナバッハは心踊っている。丘の上で夢想したガレオン船の本物に乗れるのだから。

「あ、ありがとうございます!」 ナバッハは思わず、大声でお礼を言ってしまった。