丘のガレオン─1

ナバッハは想う。

今歩いている、この一歩が大切だった。どこかに行くためのものではなく、この一歩が行き先であり、この先の未来を先取りしている。思えば今まで、どこかに行こうと歩き回ってきたように思う。

1:丘のガレオン

仕事帰りのナバッハは、街の外れにある丘の公園で、ベンチに座っていた。もうすぐ太陽が街の向こうに沈む、それを眺めていた。暑い太陽がようやく沈み、涼しい風が吹き出す。この時間を待っていた。薄暗くなってきた、人のいなくなった丘の上の公園。

丘の頂上に、ガレオン船を模した遊具がある。遊具というにはもったいないと思えるほどに、その船はよくできている。メインマストを二本立てた帆船で、鉄の棒でできた櫓が船体を地上から持ち上げ、船の底、舵、太いキールまで忠実に作られていた、水が来たら浮いてしまいそうなくらいに。そしてその船は、船の底からハシゴが出ていて、そこから船の中に入れるようになっていた。

ナバッハは船が好きだった。最近作られたそのリアルな遊具にも興味があった。ベンチの背もたれから後ろにのけ反り、逆さまのガレオン船を眺めている。そこには今、誰もいない。ナバッハはベンチから立ち上がり、丘の頂上にあるガレオン船に向かって歩き始めた。

船に上がるハシゴが船の後ろの方に付いていて、上り用と下り用の二つがあった。ナバッハは上りのハシゴを上っていく。横目にコンクリート製の船底が見える。上がりきったところは、大きな部屋になっている。小さな窓がいくつか開いており、薄暗い船底の大部屋となっていた。船の前方はその大部屋から船の上に出るための大きな穴が空いていて、階段が付いている。

ナバッハは船室の中を前に向かって歩く。歩く度に船が本当に揺れているような錯覚に陥る。船が好きなナバッハは、自分で自分を騙すこの感覚を楽しんだ。ここは船室。穏やかな波の上での揺れが心地よい。甲板につながる天井の穴に近づくにつれて、海の匂い、波の音が聞こえてくる。

そして階段を上がると、そこには青い空と海が広がっているのだ。

ガレオン船は、街の上に浮いていた。街が眼下に見渡せる。これはよく出来ているな、とナバッハは思う。本当に、どこかの海の上に浮いているような感覚になることができる。青い海と、青い空と、二本のマストには風を受ける帆があり、この船は海の上を進んでいる。追い風が吹いている。船が波を切る音が聞こえる。船は緩やかに進んでいる。

ナバッハは甲板の縁まで行った。甲板の縁には手摺りが船尾から船首まで続いていた。船首を見ると、へ先が宙に浮いている。この船が、浮いている。ナバッハはうっとりして、手摺りを後ろに腰に当て、ぼんやりと時を過ごした。船の揺れに合わせて青い海、その先に見えるどこかの陸地の街の様子が上下しているのが見える。

二本のマストが立てられた、中規模の大きさを誇る船である。快晴で穏やかな海を、風の力だけで静かに進んでいる。エンジン音や振動の類が、全くない。船好きのナバッハにとって、この想像は気分が盛り上がる。今は、存分に楽しもう。

この甲板の下には、相当な広さの船室がある。船の前方の階段を下ると、清潔に整えられたリビングのような場所があり、その奥にはいくつかの小部屋が続く。ところどころ開いている個室のドアからは、それぞれのベッドが見えていた。さらにその奥(船尾)には、シャワールームやトイレがあり、上にある船尾の船室(船尾楼)に上り下りする階段がある。これはもう、長距離の航海にも繰り出すことのできる、立派な船となっている。

船尾楼では船長と船員達が今後の航海の方針を話し合う。その奥には特別な船長室もある。船長はその特別室で航海をすることができる。広い部屋には机、専用のバルコニー、広いベッドが備わっているだろう。

そんな想像を丘のガリオン船の上で楽しんだナバッハは、日も暮れると、家路につくことにした。明日は会社を休んで、めったにない大型客船の入港を港まで見に行くつもりだ。ナバッハはコンクリートで出来た家に帰っていった。丘のガリオンは、そこにじっとあるままだった。