劣等感の男エヌ【2-2】 ─ エヌの妄想により、老紳士は芸術家となる

 パターン化されて代わり映えのしない生活を送る老紳士。その老紳士が近い将来の自分の姿だという予感、そのことをエヌはどうしても払拭したいと考えました。

 なぜならエヌは、自分はそんなことになるはずはない、自分は違う、と考えていました。代わり映えしない生活をずっと送りながら、このまま年だけをとっていく… そ、そんなのは、嫌だ…

 劣等感を持つ男エヌは、このような惨めな気分になると決まって、それから逃れるために妄想を始めるのでした。それが彼の長所でもあり、そうすることにより、今まで何とか自分を保ってきたのでした。

* * *

 その老紳士は、芸術家だった。あの大きな鞄の中には、絵の具や数十年も使い古されたパレット、キャンバスが入っている。老紳士は毎朝自宅から出かけ、この駅の先にある自分のアトリエに通っているのだ。

 そのアトリエは高台に新築したばかりの、三階建ての白い家であった。一階は大きな画材、車を収納するためのスペース、2階は普通に暮らせるだけのリビング、キッチン、浴室、居室等がある。三階は高台に面した大きな窓、バルコニーを備えるアトリエとなっている。

 彼はその日の気分に合わせてアトリエで作品作りに没頭したり、一日中2階で寛いで過ごしたりしている。天気がよく、気が向いたときは、車を出して取材に出掛けたりもする。

 そんな、自由な芸術家なのだ。

*** 

 そう考えるだけで、エヌの前を歩くその老紳士が輝きだしました。自らの人生を謳歌し、充実した毎日を過ごし、やりたいことがたくさんあるのです、だからあんなに早く歩いて、自分のアトリエに急いで行っているのです。年齢を重ねていても、その情熱、若さが衰えていないのです。

 ああ! なんて素晴らしいのだろう。なんてうらやましいのだろう。エヌは毎日同じ労働をしに勤めに行っているというのに、あの老紳士は自分のアトリエに通っているのでした。

 エヌの妄想は完全な形で構築され、その老紳士は芸術家となりました。

つづく

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