ナスカの旅 1─1:銀の板(170703改)

2017年8月3日

 水が張られた何枚もの水田の中に、小さな道が真っすぐに伸びていた。辺り一面に広がる水田は静かで、何枚もの鏡が並べられているようだった。

 ナスカは会社帰りの初夏の夕方、空が映り込んでる銀の板の上を、黙々と歩いていた。

 道の両脇は銀の板が敷き詰められていて、道が空に浮いているようだった。銀の板は水で出来ているのに、硬質な印象を与えていた。そんな中を歩いていると、ナスカはここが現実ではない気がしてきた。 むしろ、そう思いたかった。一歩進むごとに、現実の世界から離れて違う世界に入り込んでいく。その感覚をより楽しむために、ここは物語の中なのだ、とナスカは考えることにした。

 銀の板を敷き詰めた美しい舞台を、一人歩く女。

 目の前には、銀の板がいつまでも広がっている。歩き去った後ろには、振り向いても元の世界はすでに無いのだ。見えるはずの鉄道の高架や大きな建物の影は、無くなっていた。完全に孤独で、静寂が支配する世界にただ一人、ナスカがいる。

 そもそも今、ナスカがいる世界が物語の中なのか、そうでないかという証明は誰にも出来ないのではないか。物語の中であれば、創造者がその登場人物にそのことを気付かせなければよい。つまり、この銀の板の世界が物語の中ではない、とは誰にも言えない。

 であるならば、一刻も早く自宅に帰り明日の仕事に備えなければならない、というナスカの状況を捨て置いて、この美しい世界でもっとゆっくりしたいというナスカの願望を、優先させてもいいはずなのだ。

 道に張られたアスファルトと、銀の板に続く草むらの境目にナスカは腰を下ろした。草むらは銀の板にむけて傾斜しており、銀の板は夕日に染まる空を映していた。それを俯瞰するようにナスカは座っている。

 風は全くないと思っていたが、座り込んでみると風は微かに吹いている。暑くもなく寒くもない、静かな時間と空間。現実から完全に切り離されたこの豊かな時間を、ナスカはここで過ごすことにした。

 ここは、ナスカ一人っきりの美しい世界。誰の視線もなく、誰もナスカの声を聞いていない。ただ見渡す限り、銀の板が広がっている。ナスカはここで、自分を解放する……

 ジーンズのホックを外して楽になる。眼下では、銀の板がナスカを空の中に映している。セミロングの茶色の髪を垂らした女が、空の中に浮かぶ。銀の板に囲まれていることにより、無限に広がるナスカだけの世界に、ナスカの中の開放感が増大し、知らず知らず喜びが沸き上がってくる。誰に気がねすることもなく、ただのナスカをこの世界にさらけ出す。頬が生暖かい風に当てられ、開放感と共に恍惚となっていく。ナスカの分身がフラフラと銀の板へ歩き出し、硬く冷たい板の上に乗って行くようだった。

 ナスカは虚ろな目で空を見上げる。空を見上げているのか、銀の板に映る空を見下ろしているのか、よく分からない。そんな状態の自分になった時はいつも、ナスカの持つ根源的な問いが湧き出てくるのである

 どう生きていけばいいのか─

 絶望しているわけではない。しかしこのままでは、現実世界で生きていけない、とまでナスカは考えていた。

“私は何を求めて歩いているの? 何を求めて生きているの? 何を求めるの? いや、ゴールが目的ではない、過程=人生をどう過ごしたいか、それを求めている。そうであれば、どう過ごしたいの?”

 過程とは、何かのゴールに向かう途中ということであろうか。ではゴールの設定が必要だ。しかしそれが間違いというならどうなのか。ゴールではなく、過程そのもの。そんなものがあるのか? 或は、過程=今がゴールそのものである、という考え方、過程が目的ならそれが正解である。この一瞬一瞬が過程でありゴールであり目的であることになる。

 つまりは、今の一瞬に目を向け、思った事をやっているか、そうでないか。また、今どう感じているか。銀の板の世界に佇んでいる今、銀の板の世界で過ごしているこの瞬間、何を考えているのか。

 では反対に普段は、我慢して過ごしてはいないだろうか。そうであるならば、どう過ごしたいのか?

 “ん? どう過ごしたら「いい」のか分からない…… このことはつまり、私は今まで、ゴールに向かってなんかいなかったことになる…… だから、「生きていけない」なんて感じてた。こんな豊かな社会て暮らしながら、そう感じていた。”

 ナスカはこの点に気づいた。すなわちそれは、この瞬間の自分を信じ切れているかどうか。今やっていること、今の過ごし方で満足しているかどうか。

 今、脳内が幸福感で満たされているかどうか。

 脳内が幸福感に満たされると、それが体の健康をもたらし、生きる気力を生み、何かを楽しもうとする意欲を生む。そのことがさらに脳にエンドルフィンを放出させ、ますます脳が幸福感に満たされ、気力もますます生まれる。

 脳が幸福感に満たされる、そのことが今の瞬間の過程であり、ゴールであるのでは? 人間は、ナスカは、脳の幸福を求めているのか。

 脳内で幸福になっても、何かを手に入れることはない、とナスカは一瞬考えたが、そうではなかった。それにより、人間は、私は、行動に移るのだ、と思った。心が不健康で行動していない状態よりも、行動することにより何かを得る可能性は高くなるはずだ。

 何かを得て幸福になるのではなく、先に幸福になることにより、得るものが増えるのだ。既に幸福なのだから、何を得るかは問題ではない。むしろ何を得ても、それが素晴らしいものに感じるだろう。見るもの聞くもの全てが、素晴らしいものに感じる。そのことは受け入れる幅を増大させ、さらに得るものの種類、量を増やす。なんて素晴らしいのだろう。

 今までナスカは、何かを得て、初めて幸福になれるのだと思っていた。その何かを探し求めるあまりに、得られるものの幅を狭め限定してしまっていた。今までナスカは、勘違いをしていた。

 “いいえ、みんな勘違いをし続けていると思う。私は? 私は今、銀の板の世界にいて、そのことに気付いた。だから今、すごく幸せ……”

 銀の板の世界に座り込んでいるナスカはその時、幸福感に包まれていた。脳内が、幸福感で満たされていた。

 どこか旅行に出かけよう。

 ナスカは立ち上がって歩き始め、早速行動にでることにした。